アラスカの地を思い写真と文章でその土地の素晴らしさを伝え続けた星野道夫。
私は彼の撮る写真も彼の文章も大好きだ。彼の新しい写真、文章を見ることで北の大地を夢見て訪れた人も少なくないだろう。
それほど彼の写真と文章には人を動かす、言葉では言い表せない力がある。
今回は彼のエッセイがまとめられた「旅をする木」より、名言なのかは分からないが、心に染み渡る言葉をチョイスしてみた。
一人でも多くの人に星野道夫の素晴らしさを感じ取ってもらえたら嬉しいです。
「旅をする木」から 心に響く言葉
人間の気持ちとは可笑しいものですね。どうしようもなく些細な日常に左右されている一方で、風の感触や初夏の気配で、こんなにも豊かになれるのですから。人の心は深くて、そして不思議なほどに浅いのだと思います。
きっと、その浅さで、人は生きてゆけるのでしょう。
旅をする木 新しい旅より
今でなくてもいい。日本に帰って、あわただしい日々の暮らしに戻り、ルース氷河のことなど忘れてしまってもいい。が、五年後、十年後に、そのことを知りたいと思う。
ひとつの体験が、その人間の中で熟し、何かを形づくるまでには、少し時間が必要な気がするからだ。
ルース氷河より
人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。
その根本的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さにも通じている。
人は誰もがそれぞれの物語をもち、それぞれの一生を生きてゆくしかないのだから。
リツヤベイより
多くの選択肢があったはずなのに、どうして自分は今ここにいるのか。なぜAではなくBの道を歩いているのか、わかりやすく説明しようとするほど、人はしばし考え込んでしまうのかもしれない。
誰の人生にもさまざまな岐路があるように、そのひとつひとつを遡ってゆくしか答えようがないからだろう。
十六歳のときにより
寒いことが、人の気持ちを暖めるんだ。離れていることが、人と人とを近づけるんだ。
アラスカに暮らすより
私たちが生きることができるのは、過去でも未来でもなく、ただ今しかないのだと。
ワスレナグサより
結果が最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味を持つものは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがいのないその時間である。
ワスレナグサより
誰もがそれぞれ一生の中で旅をしているのでしょう。そしてもっと大きな時の流れの中で人間もまた旅をしているのだと思います。
あとがきより
愛され続ける星野道夫
旅をする木は1999年に出版され2016年で第37刷が出版されたロングセラー物だ。
この本の中には星野道夫がなぜアラスカを目指したかということや、文章を通してアラスカの厳しさの中で生きる人々の強さが書かれている。
中でも星野道夫が友人Tを事故で亡くし、友人の母親から”あの子の分まで生きてほしい”と言われたシーンは涙なくしては読めなかった。
友人Tの死が必ずしもアラスカに星野道夫を駆り立てたとは本人も本の中では書いていないが、この事件で彼はアラスカを目指したことには間違いはないだろう。
彼のゆるかやで読んでいると心がほっこりする文章がたまらなく好きだ。
ここに書いた以外にもこの「旅をする木」には心にしみわたる言葉が多く書かれている。
実際に言葉を抜粋して読むより、物語の流れで彼の文章を読むことで彼の文章の良さを感じることが出来るだろう。
旅をする木、ぜひ読んで損はしない本です。